ハイキングはーー

ハイキングはキツイーー

仕方ないけどーー吟行会に

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岩槻を歩きましたー

藩校ーー何とかと言いますーー

最中でしか知らないけど

時の鐘ーー

諏訪神社ーー

寒いですーー

城址公園ーー

できれば花見でイッパイ

こんな字を書く藩校ですー

どうでもいいけどー

改めて岩槻はさいたま市

岩槻区ですね〜

もう一つ見たんですがー

すみませんーー

8 件のコメント

  • 勿論ーー参加も最大の理由はーーー
    酒を呑めるんですね〜
    今日も昼間から飲んでましたーー

    問題はーーー日本酒なんですよーーー

  • はははっ!遂に街歩きをすることになりましたか。藩校名は遷喬館(せんきょうかん)。岩槻に過ぎたものが2つ。児玉南珂(パソコンで正しい文字が出ない:木編の可です)と時の鐘とか言って有名。この辺の解説は村田君が知っているのでは。解説をお願いします。豊春に近いのでこの辺は当方の散策路です。健康のため、みんなでハイキングしましょうよ。今度、クラス会で一吟お願いします。

    • 呑みが目的ですからーーー
      歩くのはーー

      花見に八幡公園くらいまでなら
      ハイキングします!
      それ以上遠いとハイキングじゃなくて
      ヒーヒーキングになってしまいますね〜〜

    • 岩槻に過ぎたものが2つ。児玉南柯と時の鐘を調べて見ましたら下記の通りと言われています。
      「児玉 南柯」 は、江戸時代後期の教育者、儒学者。岩槻藩士。岩槻藩大岡家に仕え、藩内の教学などの発展に尽力した人物である。父は豊島俊暠。児玉親繁の養子。江島生島事件の中心人物・絵島は、祖父(豊島常慶)の姉にあたる。南柯は号で、諱は琮。字は玉郷。通称は宗吾。
      「時の鐘」は岩槻城の鐘楼として、江戸時代の1671年(寛文11年)に阿部家第4代岩槻藩主・阿部正春が渋江口に置いたのがその始まりである。その後、鐘は1720年(享保5年)に永井家第3代岩槻藩主・永井直陳により改鋳され、また鐘楼は天保年間に焼失した。現在の鐘楼は大岡家第7代岩槻藩主・大岡忠恕の時代に建て替えられたものである。
      参考までお知らせいたします。

      • 女流歌人も有名な方みたいですよ。
        書画詩全てに通じていたようですねーー
        漢字の変換がーーー

        生まれは神田とのこと
        寺に行って、住職が居ないんで
        残した漢詩も残っています。

        児玉ーーの作品集も有るようですねーー

    • あと閉まって増したがーーー
      女流歌人で有名な人が居たようですねーー
      城址公園の隣に資料館が有るんですがー
      管理が出来てなくーー
      閉まってましたーー
      よくは分かりませんがーー
      襖絵とかも描いてるようですねーー

    • それはいいご提案ですね。
      交遊にも品が、宴にも趣がともに深まって、一挙に格調高くなりそうですね。僕らにぴったり!
      ご酒も誇りをもって嗜めるってぇもんじゃありませんか。

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