南町奉行所遺構

昨日(6月20日)定例行事の為古巣の新橋へ出かけました、少しばかり時間が有りましたのでビックカメラ有楽町店へ買い物に行きましたので久しぶりに近くにある南町奉行所の遺構を観て来ました、時代劇で有名な大岡越前守忠相で知られる南町奉行所です。

有楽町の駅前広場となっているエリアの再開発が着工する前に、埋蔵文化財の発掘調査が行われ、その際に南町奉行所の遺構が数多く発見されていました。

南町奉行所遺構

奉行所の石組み

有楽町駅前広場には、発掘によって出土した南町奉行所の石組みを再現したものです。

丸屋根をくぐって地下広場へ降りて行くと、正面左手に天井までの高さの大きな木枠が壁にはめ込まれている。これは、南町奉行所の地下にあった穴蔵。

壁面の大きい物が穴藏・ 左右に腰かけているのが水道管で作られたベンチ

穴蔵は、江戸の町ではたびたび火事が起こっていたが、木造住宅で軒を連ねていた江戸の町では、ひとたび火が出ると延焼範囲が広がることがあり、火災から貴重品を守る為に地下に収納する穴蔵を作った、地下広場で現物を見る事ができます。

また、左右にある木製の横長いベンチは、江戸時代の水道管と言われています。また、同じく地下広場の木の柱の周りをぐるりと囲むように並べられた石のベンチも南町奉行所跡からの遺構。

石垣に使用されていた石で作ったベンチ

もし、ベンチに座ることがあったら、江戸時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【参考資料】史跡プレートの文面を、手を加えずそのまま書き写すと。(関連資料より抜粋)

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 東京都指定旧跡

 南町奉行所跡

 江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。

 南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されました。また、「大岡越前守屋敷」と墨書きされた荷札も出土しました。
 再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用しています。

 所在地 千代田区有楽町二丁目

 旧跡指定 大正7年4月    平成19年(2007)10月  千代田区

 大岡越前さんは、享保2(1717)年から南町奉行に任じられて、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)公が進めた享保の改革(きょうほうのかいかく)の時に町奉行だったので、テレビドラマの『大岡越前』でも吉宗将軍が良く出ていましたね。

3 件のコメント

  • 有楽町駅は通勤で有楽町線への乗り換えに使っていたんですが、ここまで詳しくウオッチしたことはなかったので、地下広場にこんなのがあったとは全然気が付かなかった。今度、見てみます。

  • 有楽町ですか、、、
    10年以上前に行ったきりですね!
    大昔の有楽町しか記憶にないんで、、
    その時も再開発の様子に迷ってしましました、、

    昔交通会館が有ったような、、、
    たまに、ゲテモノ料理、、イヤ滋養強壮料理を
    食べに行きました。
    慣れると、美味いですが、、
    一緒に行く友人は居なかった、、
    なんでだろう?

    有楽町!懐かしいですね!

    • 交通会館は現在も健在です、全国各地のアンテナショップも多く楽しく過ごせるビルの一つですよ。
      最上階には360°回るレストランも健在ですが。

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