太田金山ハイキング

太田市金山にある新田家の居城があった金山へ展望ハイクと新コースの下見を兼ねて行って来ました。近くには春日部市一ノ割出身の子育て呑隆でお馴染みの呑隆上人が開山した「浄土宗 義重山 大光院 新田寺」もありますのでお詣りをして来ました。

アイキャッチ画像は金山城本丸跡にある日本百名城記念碑にて

太田金山

大光院へ向かう途中にある澄んだ流れの「八瀬川桜並木」四月上旬は見事です

金山の登山口となる子育て呑龍さまで知られる浄土宗「義重山大光院新田寺」新田義重公の菩提寺でもあります    現在菊祭りが開かれています

 

 

 

 

 

 

金山城主横瀬氏の菩提寺の「曹洞宗 大田山 金龍寺」新田義貞の菩提所にもなっています

金山物見台に設置されている 「二等三角点 東金井」標高222.31m

 

 

 

 

 

 

金山山頂にて新田義貞公を祀る「新田神社」標高239m

下見した木々に覆われていた「東山コース」

 

 

 

 

 

金山物御台より赤城山方面を望む

その他

菊祭り展示①

菊祭り展示②

 

 

 

 

 

 

物御台より日光男体山方面を望む

物御台より榛名山方面を望む

 

 

 

 

 

金山山頂より東京スカイツリーを望む

金山山頂部に湧き出る地下水が貯まる直径16mの「日ノ池」雨乞いなどを行う神聖な場所でもあった

 

 

 

 

 

呑隆上人

5 件のコメント

  • 太田の どんりゅうさん は、幼稚園の遠足で行きました。
    もう60年以上まえです。
    懐かしいです。

    • 呑隆上人について
      「子育て呑龍様」の名で親しまれている浄土宗の僧侶・呑龍上人どんりゅうしょうにんは、弘治2(1556)年4月に武蔵国埼玉郡一ノ割(現・春日部市)に生まれ、14歳のとき林西寺(埼玉県越谷市平方)に入って僧となり、勉学に励み、天正12(1584)年に林西寺の住職になりました。栃木県佐野市大祝町の宝龍寺では9年間活躍しています。
       増上寺の教師としても平方と江戸を往復し、天正19(1591)年には徳川家康から寺領25石のほか、学問料として25石を与えられました。
       呑龍上人が開山した群馬県太田市金山町の大光院では毎年9月7日~9日にかけて、呑龍上人を偲ぶ呑龍忌とともに大光院開山忌法要が行われます。
       大光院は、慶長18(1611)年の春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。
       大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は益々栄えました。
       呑龍上人が還暦の年、親の病気を治そうと国禁を犯し鶴を殺した少年を匿い罪人となった上人は少年を伴い逃走しましたが、その後、恩師であり日本国最高の僧侶であった観智国師の遺言によって赦免となり、66歳の春に大光院に帰山することができました。
       一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響により生活は困難を極めていたので、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。このため、「子育て呑龍様」と呼ばれ、今もなお篤い信仰を集めています。
       元和9(1623)年7月、病床にあった上人は、「9日の正午は往生の時であろう。雷鳴がとどろくが、それは往生の知らせである」と弟子たちに言い残す。言葉どおり9日の正午、雷鳴がとどろく中、上人は68歳の生涯を閉じました。(宝龍寺HPより引用)

      • ありがとうございますm(_ _)m
        勉強になります

        浄土宗なんですね!
        家康から寺領での浄土宗!
        凄いですね!

        真言系の天海僧正がバックですから
        浄土宗!
        凄い!

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